まちなかのまじゅつし
舞台の上では、ひとつの物語が描かれていた。
ある女性の大切なひとが、戦に行った。
女性は毎日、大切なひとの帰りを待った。朝に夕に、彼女は町の門に立ち、人波の中にその人を探した。
ながい時間が過ぎていった。大切なひとは、帰って来ない。
そしてある日、女性の元に悪魔が現れた。悪魔は戸口に立って、大切なひとそっくりの声で言った。
ただいま。帰って来たよ。
女性は、戸を開けることなく返した。
悪魔よ、立ち去りなさい。あなたは、私の大切なひとではない。
悪魔は毎夜、女性を訪ねた。女性は、毎日扉を開けることなく、悪魔を追い払った。
扉を挟んだ奇妙なやりとりは、それから毎日続けられた。
次第に、女性と悪魔は、色々な会話を交わすようになった。悪魔は、大切なひとそっくりの声をしていたが、その性格は似ても似つかぬものだった。それでも女性はいつしか、その時間を楽しく思えるようになった。
しかし、そんな時間も長くは続かなかった。女性は重い病に侵されたのだ。
ある夜、女性は悪魔に言った。もう来ないでください、と。
悪魔は尋ねた。どうして。悪魔は、女性に恋をしていた。
女性は、笑った。思えば、この悪魔がやって来てから、笑顔を思い出せたような気がする。顔も見たことのない悪魔に、女性もいつしか惹かれていた。
それでも、女性は別れを告げた。
今まで、ありがとう。あなたとのお話は、いつもとても楽しかった。それでも、私はいきます。愛するひとが、待っているもの。
女性はそう言い遺して、天へと昇っていった。
悪魔は、はじめて声をあげて泣いた。
「はいはい、不景気なおはなしはそこまで!」
フィナーレ迎えた舞台に、突然、ひとりの男が乱入してきた。
観客は皆、涙を拭うことも忘れ唖然としている。男は、再び吼えた。
「さあさあみなさま! 涙なんざ引っ込めて、楽しいショーのはじまりだッ!!」
「おかあさん、はやくはやく!」
町の大通りを、少女が母親の手を引いて駆ける。危ないから、しっかり前を見て歩くのよ。と微笑みながら穏やかに窘める母親の手を、少女はいっそう強く引いた。
「ダメだよ。はやくしないと、まじゅつしさんかえっちゃうよッ! ほんとうに、すごいんだから!」
隣を追い抜いていった親子を、リカルドは暖かい気持ちで眺めていた。大通りの先にある噴水広場で、大道芸人のショーがあっているらしい。隣を行く人々の話題は、不思議な大道芸のことでもちきりだ。人々は皆、小さな舞台に引き寄せられるように、歩調を速めていく。どの顔も、興味と期待でいっぱいだった。
曰く、炎の竜が空を舞い、噴水の水は鳥となって羽ばたき、小人たちが楽を奏で、妖精たちが踊りだす。
ちいさな舞台の上は、まるで子供の頃に見た絵本の世界だ、人々はそう語っていた。
人波に導かれるまま、リカルドが噴水広場へとたどり着くと、そこは町の人々で溢れかえっていた。観客は手を叩いて声を上げる。皆が笑顔だった。
戦の多い今、こうして人々を笑顔にする彼ら芸人は、確かに魔術師だ。そんなことを考えながら、リカルドもまた、舞台の前で足を止めた。とある男を追ってこの町に来てはいるが、少しの休息くらいは、許されるだろう。生真面目なリカルドは、稀な息抜きにすら罪悪感を感じながらも、好奇心に負け、舞台の上の魔術師に目をやる。
「さあて、おたちあい! 本日最後の大イベントだ! この青空に、でっかい花を咲かせてご覧に入れましょう!」
リカルドは、危うく手にした杖を取り落としそうになった。舞台の中央で声を上げる魔術師こそ、リカルドの追っている相手ではないか。暢気にショーなど見ている場合ではない。今すぐ、捕らえなくては。リカルドは駆け出した。人波を掻き分け、男の元に向かう。
すると、リカルドの手を、誰かが掴んで引いた。振り返ると、先ほど大通りを駆けていたあの少女が、リカルドの手をぎゅっと握って見上げていた。
「コラ。順番抜かしちゃ、ダメでしょ」
いや、まったくその通りなのだが、そんな悠長なことを言っている場合ではない。しかし、少女にどう説明したものか…リカルドは困惑した。おなじように困った顔で、気まずそうに少女の母親が謝っている。より一層、罪悪感が募ってきた。リカルドは、折れた。
「そう…だね。ありがとう。君は、偉いね」
リカルドは諦めて、少女に礼を言った。少女は嬉しそうに、笑顔で頷いた。
その時、舞台の上の男が、紙を掲げて声を上げた。
「トーヴァの闇をすべるもの! 契約の下、我が前に!」
青空が、一瞬で暗闇に覆われた。
ざわめきが起こる。隣に立っている少女も、急に訪れた暗闇に怯えていた。リカルドの手を握ったまま震える少女に、リカルドはその手を握り返した。
そして再び、舞台の上の魔術師は叫ぶ。
「ヴァルクホートの火薬使いッ! でっかいヤツ、頼むぜッ!!」
轟音が響き渡り、夜空に、光の花が咲いた。
火薬のにおいと轟音に、知らず武器を構えそうになった自分が憎い。先ほどまで怯えていた少女は、無邪気に歓声を上げ、暗闇を彩る光の魔法に見入っていた。
色とりどりの光の花が咲く真昼の夜空に、妖精と炎の竜が舞い、小人たちの陽気な音楽が彩った。
「すばらしい舞台でしたね」
未だ歓声と拍手の鳴り止まぬ舞台に上がり、リカルドは魔術師に素直な賛辞を送った。
「そうかい? ありがとよ。俺は、皆が笑顔になってくれりゃ、それだけで満足さ」
足元でおひねりを熱心にかき集める魔術師は、リカルドに振り向きもせず言った。
「もう、舞台はお仕舞いですか」
「ああ、ネタも尽きたんでね。今日はもう、おしまいだ」
アンコール! アンコール! 広場を離れようとしない人々の声が、唱和した。
「そうですか。それでは、貴方の身柄を、拘束します」
「へ?」
男が、寝耳に水という顔でリカルドを振り返る。残念ながら、丁寧に説明してやるつもりはなかった。
「詳しい話は、私の国の拘置所でいたしますので」
「え、ちょ、何!? なんでッ!?」
お前誰よ、てか俺がいったい何したっての!? 騒ぐ男に構わず、リカルドは男の首根っこを引っつかみ、引きずっていく。そんなやりとりすらも舞台の一部に見えたのか、夢から覚めきらない観客たちの、アンコールの声は止まない。
それすら気にも留めず、任務遂行に徹するリカルドの背後から、あー…仕方がねえ、と呟く男の声が聞こえた。
「みなさまのアツいアンコールにお答えして、出でよ最果ての森の霊獣ッ!!」
魔術師の呼び声に応え、舞台の上に、小型の竜が現れた。観客の歓声と拍手が響き渡る。
「ご観覧いただき、ありがとうございました! 次回の公演を、お楽しみにッ!!」
純白の竜の背に乗って、魔術師は空へと消えていった。
「まじゅつしさん、つかまえちゃイヤだよ」
また逃がしたか、と声も無く落胆するリカルドの手を、再び少女が掴んでいた。リカルドは、苦笑して少女の前に膝をついた。
「まじゅつしさんは、本当は悪い悪魔なんだ。騙されてはいけない」
だから私はあの男を追い続けている。どこへ逃げたとしても、捕らえなければならない。
しかし、少女は、首を横に振った。
「悪魔なんかじゃないよ! わたし、絵本で見たの。まじゅつしさんは、かみさまなんだ!」
「かみさま、か…」
リカルドは、少女が走り去った先を見つめた。少女は空に向かって手を振りながら、陽気に歌を口ずさんでいる。母親が、微笑みながら少女の後を歩いていた。
空は再び青空に戻ったというのに、リカルドの心は晴れなかった。
あんなヤツが神様で、たまるものか。少女の見た絵本のかみさまなら、自分も幼い頃から何度も見てきた。確かに、その神は人々の笑顔のために、どんな奇跡だって起こしてみせた。だが…
「かみさまは、人殺しなんて、しないんだ」