イスファリア教会。
はじめて訪れる町の片隅で、リカルドは馴染みの教会を見つけた。
望郷喫茶
「さあ、どうぞ。何もないところですが、お入りになってください」
リカルドを迎えたのは、人の良さそうな老神父だった。彼は、突然の来訪者を快く中へ通すと、何も問うことなく、暖かい紅茶を差し出した。相手が何者であっても受け入れる、という精神の表れなのだろう。
「ありがとうございます。…すみません、急に押しかけてしまって」
遠慮がちに受け取るリカルドに、老神父は微笑んだ。
「いいえ。むしろ、皆さんそうかしこまらず、どんどん乗り込んで欲しいものです。急にお説教はじめたりなんかしませんから。私、喫茶店のように寛げる教会、目指しているんですよ」
おどけて言う老神父に、リカルドも笑った。懐かしさに駆られてつい戸を叩いてしまったが、よい縁に恵まれたようだ。リカルドは、暖かい気持ちになった。
「それでは、お言葉に甘えて。遅くなりましたが、私はイスファリア教国の騎士。リカルド=チャンドラーと申します」
老神父は目を丸くして「イスファリアの…」と呟き、そしてもう一度、心から嬉しそうに声を上げた。
「イスファリアの…いやあ、懐かしいですねえ! ああ、失礼。私はロレントと申します。私も二十年ほど前、イスファリアで暮らしておりました。やむなくイスファリアを離れることになってしまいましたが、信仰を絶つことはできなかった。そんな訳で、このような遠国でイスファリア教会の真似事をしている者です。まあ、大方私の趣味ですね」
「趣味ですか…確かに、イスファリアの教会は、喫茶店とは程遠いですよね」
「はい。趣味、丸出しでしょう」
ふたりは笑った。”喫茶店のような教会”自慢の紅茶は、とても優しい味がした。
「では、リカルドさまは人探しでこのような遠国まで? それはそれは…本当にお疲れ様です」
リカルドの話を聞いたロレント神父は、心からの労わりを込めて紅茶を注ぎ足した。ロレント神父は、深い事情を聞きだすようなことはしなかった。リカルドはその優しさに甘え”イスファリア教会の導師を殺した男を追っている”とは言わなかった。長く遠国で暮らしていて尚、教会の教えを守り続けているロレント神父だ。導師の死は彼にとっても辛い話だろう。優しい神父の心を、痛めたくはなかった。
「はあ…流石に疲れました。もう長いこと追い回しているのですが、あの男には本ッッッ当に、手をやいています。…今回こそは捕らえたと思ったのですが、まんまと逃げられてしまいました」
明らかに1オクターブ低くなった声で紡がれる呪詛に、神父は苦笑した。
「宿敵ですか」
「仇敵です」
「挫けちゃいそうですか」
優しい目で問うロレント神父に、リカルドは背筋を正してしっかりと答えた。
「いいえ。…でも、また弱音吐きに来てしまうかもしれません」
神父は微笑んだ。
「大歓迎です。紅茶を淹れてお迎えしますよ。有料ですけど」
ふたりの間に一瞬、沈黙がおりた。
「…もしかしてコレも、有料ですか?」
神父はにやり、と人の悪い笑みを浮かべた。
「はい。喫茶店のような教会、ですから」
「それ、もう教会のような喫茶店、ですよね?」
「あちゃあ。バレました?」
「困ったなあ。私、美味しくってつい、紅茶二杯もいただいてしまいました。私の薄給で支払えるようなお値段だと助かるのですが…」
「残念ながら、リカルドさまのお給料ではお支払いいただけませんねえ。代わりに、紅茶の料金としてリカルドさまにお仕事をお願いしたいなあ、なんて思っちゃったりしてます。今夜一晩こちらに泊り込みで。あ、ちなみにまかない付きですよ」
リカルドは、ついに笑いを堪えられなくなった。
「…困ったなあ。断れないじゃないですか、それ」
「私、オニらしいですから。だってリカルドさま、普通に泊まっていけば? って言っても遠慮されちゃいそうだったんですもの」
「あちゃあ。バレました?」
ふたりは笑った。リカルドは観念して、とても懐かしく暖かいこの教会で、仕事という名の休息を満喫することにした。
「では、私は食事の用意をして来ます。リカルドさまは、こちらでお待ちいただけますか」
そう言ってロレント神父に案内された部屋には、先客の姿があった。その先客はちいさな背中を向けたまま、椅子に掛け、窓の外を眺めていた。こちらに気づいてはいるのだろうが、振り向こうとはしない。ロレント神父は困ったように笑って、リカルドに囁いた。
「…私の子のティオです。恥ずかしながら、ただいまケンカ中でして…。リカルドさまにお願いしたいお仕事なんですが、私の代わりにお説教をお願いできませんか? この通り、今朝から口をきいてくれないのです」
「お説教、ですか…」
リカルドは苦笑して、ちいさな背中を見た。同じ頃の自分は、はたして説教などできるような良い子だったろうか。
お願いしますね。そう言い残して、ロレント神父は部屋を出た。部屋にはリカルドと、相変わらず背を向けて外を眺める振りをする子供。リカルドは、子供の隣の椅子を引いて腰掛けると、ちいさな背中に微笑みかけた。
「はじめまして、ティオ。イスファリアから来ました、リカルドです」
イスファリア、と聞いた途端、子供は勢いよく振り返った。好奇心に満ちた目が、まっすぐにリカルドを見た。
「リカルドはイスファリアから来たのか! オレ、イスファリア知ってるぞ。カミサマが創った国なんだろ!」
得意気に言うティオに、リカルドは微笑んだ。
「そうだよ。ティオは物知りだね」
「とーぜんだ! ロレントの大好きな国だからな」
「ロレント神父のこと、好きなんだね」
「……とーぜんだ」
ケンカ中であることを思い出したのか、ティオは複雑な表情を作ってそっぽを向いた。照れ隠しだろう。リカルドは優しく問いかけた。
「じゃあ、ティオはどうして神父さまとケンカしちゃったの?」
「…オレ、騎士団に入りたいって言ったんだ。そしたら、ロレントが無茶ばっか言うんだ。騎士団に入るつもりなら、木刀で素振り百回できなきゃダメとか、隣町まで走れなきゃダメだとか! オレがそんなのムリだっていうと、にこにこ笑って言うんだ。じゃあ止めとけば? って。アイツ、オニだ!」
「神父さまは、ティオのことが大好きだから、心配なんだよ。騎士団の仕事は危険だ。素振り百回するより、隣町まで走るより、きっと辛いこともあると思う。いまのティオじゃ怪我をしてしまうかもしれない」
優しく諭すリカルドに、威勢よく吼えていた子供は、急に泣きそうな顔で俯いた。
「…オレ、駆けっこも速くないし、ケンカも強くないんだ。隣町まで走ろうと思ったけど、半分も行けなかった。すげえきつかった。…騎士団に入ったら、もっときついのかな…」
「…たぶん、ね。きつくて痛いこともたくさんあると思う。ティオは、それでも頑張れる?」
「…そんなのムリだよ…でもオレ、どうしても強くなりたいんだ」
「…ティオはどうして、強くなりたいと思ったんだい?」
「…この町って昔からずっと、戦に巻き込まれてんだって。オレがもっと小さかった頃にも、戦があったんだ。オレは、危ないからってロレントのところに預けられて、それから何日か経ったけど、父ちゃんも母ちゃんも帰って来なかった。町の偉い人が来て言ったんだ。オレの父ちゃんと母ちゃんは、英雄なんだって。町を守ってしんだって。オレは何言われたのかわからなかった。ただ、ロレントがオレの頭撫でて、『家族になろう』って言ってくれた」
ちいさな手をぎゅっと握り締めて、涙をこらえながらティオは話した。そして、泣きそうな顔のまま、それでも顔を上げリカルドをしっかりと見て言った。
「オレは、強くなってロレントを守るんだ」
涙をためた目でまっすぐ見るティオに、リカルドはちいさく、諦めの息を吐いた。
「…困ったなあ。ロレント神父にはお説教を頼まれたんだけど…私にはティオの気持ちが、少しわかるよ」
ティオは驚いたようにリカルドを見た。リカルドは苦笑して続ける。
「私には、君と同じくらいの頃の記憶が、ないんだ。だから、これは聞いた話なんだけれど」
まったく、とんだ偶然があったものだ。リカルドはそう思いながら、昔何度も繰り返し聞いた話を思い出す。
「私の国は、昔から…今もずっと隣の国に侵略され続けているんだ。ちょうど君と同じくらいのころ、私の家族は町を襲った敵国の兵士に襲われて、みんないなくなってしまった。私だけが旅人に助けられ、生き延びたんだって。それから私は、君の神父さまみたいな人に引き取られて、本当の家族みたいに暮らしてきた」
静かに話に聞き入っていたティオが、首をかしげて問いかけた。
「リカルドの国の神父さん?」
「皆は導師さまって呼んでいたけど。ちょっと君の神父さまに似てるかな。でも、普段は神様のように優しいけれど、怒るとすごく怖いんだ」
「え、リカルドも怒られるようなことしてたの?」
「……………うん。かなり」
そこに関しては、多くは語るまい。リカルドは素早く話を元に戻した。
「導師さまは、よく私と出会ったときの話をしてたんだ。導師さまが駆けつけたとき、私を助けてくれた旅人は、大泣きする私を抱きしめて、一緒に大泣きしてたんだって。子供みたいに泣きじゃくって、私に謝っていたんだって…ごめん、って何度も。助けられなかった。自分にもっと力があれば、って」
幼い頃、繰り返し聞いた話だ。その時の記憶のないリカルドには、それが自分の身に起こった出来事とは思えず、いつも御伽噺を聞いているような気分だった。それでも、話を聞くたびに繰り返し思い浮かべた泣きじゃくる旅人の姿は、まるで自分の思い出のように、リカルドの脳裏に焼きついていた。
「導師さまはね、その旅人はきっと神様だって言うんだ」
「そんなのおかしい! そいつがカミサマなら、どうしてリカルドの家族みんな助けてくれなかったんだ? カミサマはどんなキセキでも起こせるんだって、本に書いてあったぞ!」
ティオは、納得がいかないと自分のことのように怒り、吼えた。
「うん。私も、導師さまにそう聞いたよ。そうしたら、神様も万能ではないんだよ。って言われた」
「カミサマなのに?」
「うん。神様なのに」
それ、きっと”パチモン”だ! 騒ぐティオに、リカルドは微笑んだ。
「…導師さまがこの話をするときは、決まって最後にこう言うんだ。あのとき、神様は泣きながら言ってたって。自分もがんばるから、今度は守れるように、強くなるから、って。ねえ、神様がもしも万能で、御伽噺のように奇跡を起こしてみんなを助けてくれていたら、きっと私たちはみんな、神様に頼りっきりの怠け者になってしまうと思うよ。だから神様は、わざと非力な人の姿をして現れたんじゃないかって。誰だって万能ではない。力及ばないこともある。間違うことだってある。でも、それを乗り越えて前に進んでいるんだって。私たちにそう教えるために。だから、私たちも頑張らなきゃいけないんだって」
真剣に耳を傾けるティオに、良い子だなあと感心しながら、リカルドは繰り返し聞かされたお説教の台本を閉じることにした。
「以上、タイクツなオセッキョウでした」
「結局リカルドも敵なのかよー!?」
「お仕事ですから」
「ねえティオ。神父さまは本当は、ティオが辛い思いをしないように、騎士団に入るのを止めたいんだと思う。私も、ティオが辛いなら無理して強くなることなんてないと思うよ。でも、私はティオの気持ちも分かる。おんなじ理由で騎士になったから、ね。だからティオが頑張るって決めたなら、こっそり応援したいんだ。私は昔、辛くて挫けそうになったとき、泣き虫な神様の話を思い出して頑張ろうって思ったから。さっきのはお説教じゃなくて、お守り代わり、かな?」
リカルドの言葉に、ティオは驚いて顔を上げた。そして、嬉しそうに、力強く頷いた。
「…ありがと、リカルド。オレ、頑張ってみる」
まぶしい笑顔で宣言されてしまった。リカルドは困ったように苦笑した。
「そっか…バレたら神父さまに怒られちゃうかなあ…」
「うん。ロレントも、怒ると怖いぞ」
あいつオニだから。そう即答するティオに、リカルドはうな垂れた。
「はは…困ったなあ…」
正座させられてお説教、なんて何年ぶりだろうか。リカルドはなぜか、故郷のちいさな家が懐かしくなった。
「なあ、リカルド。リカルドは、カミサマにまた会いたい?」
ティオの問いに、リカルドは迷いなく答えた。考えるまでもない、ずっと昔から決めていることなのだから。
「うん。会いたいな。お礼、言いたいんだ。あのとき私は、きっと泣いてばかりで「ありがとう」って言えなかったと思うから。だから、もう一度会いたい」
こうやって旅をしていれば、いつしか会えるだろうか。あのときの旅人に。そんな思いを巡らせていたリカルドに、ティオが力強く声を上げた。
「じゃあ、約束だ! オレがカミサマ捕まえてやる!」
「捕まえちゃ駄目だろう」
とんでもない宣言にリカルドは笑った。そこへ、扉を叩く音がした。ロレント神父だ。
「リカルドさま。今、宿の主人が来ましてね。リカルドさまの探し人に良く似た男が、宿に泊まっていると伝えに来ましたが…」
”探し人”という言葉が聞こえた瞬間、それまで穏やかだったリカルドの表情が、すっと冷えた。
「本当ですか? …おめおめこの町に戻ってくるとは、良い度胸ですね…」
「り、リカルド!? なんか怖いぞッ!?」
一変した雰囲気に、ティオが怯えた声を上げた。リカルドは、怖がらせてはいけないと、あわてて笑顔を向けた。若干ひきつっているが。
「ごめんね。ちょっと、害虫駆除に行ってくる」
「いや、明らかに男って聞こえたぞ!? …そいつ、リカルドの敵?」
「うん。敵。アレだけは捕まえないと」
「オレには捕まえちゃダメって言ったくせに」
「神様拉致するのと、悪者逮捕するのとは違うでしょう」
名案を却下されたティオは、拗ねたように言った。無茶苦茶な案だが、リカルドを喜ばせたいのだろう。そんな優しさを感じて、リカルドの心は暖かくなった。
「ごめんねティオ。本当はもっとゆっくりしたかったんだけど…また、遊びに来るね」
「うん。ゼッタイだぞ!!」
ティオの小さな手が、リカルドの手をぎゅっと握った。
「すみません。ロレント神父。せっかく食事まで用意していただいたのに…」
申し訳なさそうに言うリカルドに、老神父は穏やかに微笑んだ。
「いえいえ。それはお気になさらず。しかし、お仕事だけしてもらって、お代を払い損ねてしまいました。いつでも取り立てに来てくださいね? ティオと一緒に、お待ちしております」
「はい。かならず。紅茶ごちそうさまでした。それでは、また」
一礼して教会を出るリカルドの背に、ティオが叫んだ。
「リカルド! 約束だ! オレ、神様ひっ捕まえたら、リカルドに手紙書く!! だからゼッタイに取りに来いよ! リカルドがまた忘れてもいいように、オレが見届けてやる! リカルドがちゃんと「ありがとう」言えたって、オレが証人になってやるぜ!!」
なんて頼もしい約束だろう。リカルドはもう一度微笑んだ。”喫茶店のような教会”自慢の二杯の紅茶は、故郷を出て以来ずっと張り詰めていたリカルドの心を、優しくあたためてくれた。
あの男との決着をつけたら、いつかまた、このあたたかな教会で。